「胃がん検診」と「胃がんリスク検診」について

物事を考えるとき、几帳面すぎるのか、あるいは心配性かは別として、どうしても失敗を想定する考えをもってしまう。

今日は、40代になったこともあり、初めてがん検診を受診。

1ヶ月前に予約をして、今日はお店を休んで朝から病院へ。

普段から病院と非常に相性が悪い私は、予想通りに悪いことが進む。なんというか狙って起きることも運が悪い。

病院とはなにかと自分たちの枠に当てはめようとする。その一方で自分たちは正しいという自意識過剰なところがあるのもまた事実である。

今日の検診項目が実に組み合わせの悪いもので、「胃がんリスク検診」と「胃がん検診」というのは、似て異なるものだという。

医療関係者なら当然というべき、この2つの検診を同時に受診する人は、まずいないという。

胃がん検診とは?

そもそも胃がん検診とはなにか?胃がん検診には、X線検査と内視鏡検査(いわゆる胃カメラ)の2つがあるという。今回受診した医療機関では、胃カメラ検査を実施することになり、検診予約の折、前日から絶飲食で過ごしてくださいということで、12時間前からの絶飲食で過ごす。

検査当日、資料をいろいろ提出した上で、外来診察室フロアへ行く。待てど暮らせど、呼ばれる気配がなく、受診簿だけを回収されてしばらくしたら、いきなり検査を受けてきてくださいと指示を受ける。

最初に検査室で採血があるという・・。ん?採血はなんでするんだろう?と疑問に思いながら、大腸がん検査のために検体を提出し、一通りの巡業が終わったあと、再度診察室へ呼ばれる。

大腸がんの検査結果は正常範囲ということから、心配はないとのこと。

先ほどおこなった血液検査の結果は後日郵送にて報告するので、お待ちくださいとなった。では、、今日はこのあたりで・・と終わりそうだったので、すかさず私が、

「胃カメラの検査があると思うんですが??」

と医師に確認すると、「基本的に胃がんリスク検診で必要があれば、胃がん検診を行うのです」という。

当然、このことに私は「前日から絶飲食して来院するようにと指示を受けたのに、おかしいのでは?」と尋ねる。

・・・その説明に首をかしげ、医師の反応は「必要なら、検査できますので、、予約は取れると思いますが・・・」とつれない返事。それから、いろいろ調べてもらうと、「検査の枠あるようですね、いまから検査可能です・・」というつれない返事。

あまりに手際の悪さが目立ち、再び検査フロアへ向かう。

そのあと、部分麻酔を行うため、胃カメラの準備を行う。

人生初めての胃カメラ検査だったのだが、率直な感想は「ものすごくしんどい」意識がある中で、カテーテルが動き、呼吸がものすごくつらく、絶飲食しなければ確実に嘔吐することは確かだった。

再び診察室へいき、検査結果を聞く。

検査結果は概ね良好だが、今後も定期検診が必要ではないでしょうか。という話で終わった。

今回の問題

よく、私の依頼内容は「あまりありません」と言われる。

日本人が好きなこの「あまり+否定形」という表現は、あいまいな表現で内情をあまり明かしたくないとき使う。この言葉は私の中では禁句のひとつ。

 

この言葉の背景に、本当は「あなたしかいませんよ」と言いたかったのだが「ほかにもいますけど」と強調したかった。ところに問題が見え隠れしている。
 

 

今回の件で当てはめると、病院側は「胃がんリスク検診」を受診するのがほとんどで、同時に「胃がん検診」を受診なんて想定しなかったという。すなわち、血液検査+胃カメラの検査というのは、非常識だと言うことだろうか。

これが、医療関係者における「常識」と一般人の「常識」がかけ離れていることを意味する。

「胃がんリスク検診」は採血のみですむため、身体的な負担が小さい。わざわざ、きつい思いをして、「胃がん検査=内視鏡検査」を行う必要があるのか?ということだろう。
 

いずれにしても、常識って何かをもう一つ考えたい

 

「ここは、○○だから、このくらい大丈夫だろう」って

これは、パソコン屋だから何でもあるだろう。

と言うのと同じである。

 

私は常々「間違える・失敗することを想定して行動する」と言っている。即ち、失敗行動学の原則でないか。

この理論の前提には「失敗していいこと」と「失敗したらいけない」ことに分かれると。

失敗していいことは、「チャレンジ」して失敗することはもちろん、「取り返しのつくなら」は失敗してフォローしたらよい。しかし「取り返しのつかない」失敗は、後々に響くので絶対にしてはいけない。

特に、過去の事例がない、あるいは、難解である場合はなおさら、細心の注意を払う必要がある。

明日は我が身と思い、帰路についた。

 

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