常識にとらわれない発想~あえて非常識に徹する考え方

パソコン屋という職業は何ともつかみ所の無いもので、私にとってみればもっと良い職業があったのではと考える事は多々あります。

ただ、大学を卒業して早10数年が経ち、右も左もわからない頃に比べると物事が少しはわかってきた年頃かもしれません。

かつてから私は、様々な発想や考え方を常に記したり、行動したりしてきました。

大学時代の論文では、「離島には橋や道路も必要だと思うが実際は、光インターネットのインフラが大事」と説きました。

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このように考える様になったのは、情報インフラこそ、地域格差を無くす第一歩ではないか?と言う考えからでした。

実際ふたを開けてみるとやはり、インターネット整備に関する事は最重要課題として取り上げられており、離島振興におけるインターネット化は欠かせないモノと言われております。約10年後には離島にも光回線の敷設がはじまり、今では当たり前のように利用できます。
※2014年現在、長崎市はまだまだ光回線化は進んでおらず、エリアカバー率で見ると70%程度です。

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企業・サービスに関するあり方を予言した事もあります。

私は、とある上場企業の担当者に「このままだと5年後にはあなたの会社は無くなる」と啖呵を切って契約を打ち切った事もあります。

もちろん、会社が無くなるなんて当時はそんな情報も無ければ、裏付けも根拠もありません。

単純に「こんなサービスなら私は利用しないし、お客さんに迷惑をかける」と言うだけです。

それから5年後にその会社は同業他社に吸収され消滅しました。事実上の廃業です。

私はかねがね、企業担当者には「知識」と「人間性」はいずれか高ければ良い。と申し上げています。

顧客満足度を高めるには、絶対的な「信用力」とトラブルが起きたときの迅速な「対応力」が求められます。

信用力を高めるには常に「知識」を蓄える事で、不安になるお客さまに対し「安心」を与えられる事で結果的に「信用力」につながるのです。
さらに、トラブルが発生しても、適切な対応をする事でその「信用力」を担保に対応に余裕ができ、最悪な事態を回避できる。

こういったことがなぜ可能なのか?と言えば、常識を覆す大胆な発想だと言えるからです。

私は常に、お客さまにとって「リスク」を担保する事で、これまで信用を付けてきました。

常識を覆す大胆な発想とはどういうことか?

「顧客に、あえて企業としてのアラを見せる」

と言うことです。

本来、自分のところの汚点をお客さまに見せる事は信用を失墜させる行為ですが、時として企業のアラを出す事は悪いのではありません。
むしろ「私の会社は見ての通りダメですが、誠心誠意きちんと結果を出します。」位の対応が良い場合があります。

企業の体裁と顧客の要望。

どちらが優先されるべきか考えた時、企業の体裁は捨てる方が賢明です。
私は、顧客の要望を基本として、顧客の要望を聞きつつ、線を引く。

ばれる事は最初からしない。

そのくらいの気構えが実を言えば大事な事だと知ったのは、ここ1年くらいです。

常識を覆す発想は「自身の体裁を壊す」事。

自分の考えている事を「当たり前と思わない」

常に、自分の考えは「間違っている」と考える方が実はちょうど良いのです。

正義は時代とともに変化します。

顧客が間違った要求する事は多々あります。
企業が顧客から要求される事に、担当者が対応できない理由は

  • 1 会社から受ける「ペナルティ」が怖い為
  • 2 予算が合わない
  • 3 顧客が嫌い
  • 4 面倒

と言う事が上げられます。つまり、会社の内規に背くと即

叱責を受ける=給与・人事査定に影響→減給・降格・解雇

つまり、顧客の利益よりも、自分自身の保身。

そのため都合が悪ければ、「私では判断できません」と逃げる。

こういった悪循環になっている。そういう場面を幾度となく見てきました。

大学卒業してからしばらく勤めていた某量販店においても、この大変さは身をもって痛感しています。顧客のためと思っても会社の利益にならなければ、叱責を受ける事は良くある話です。

かつて、私はかつて身元保証をした知人が会社送ったクレームFAXの内容について店長から事情聴取を受け、今回の件の責任についてどうするか?と問い詰められた際、私は即座に「今すぐ辞めます」といってその日に辞めたことを昨日のことのように覚えています。

次がどうなるかも全く見えない中の突然の退社、本当お客様には迷惑かけたなぁと今でも自責の念があります。一方で、責任を問われて即座に辞めたということも、自分にとってみれば当然の行為だったと考えています。

意図しない配置転換が相次いだこともあり、逆にいつまでもしがみ付く気になれなかったのです。

私は、あのとき会社が守ってくれる訳じゃないということを知った瞬間でした。

トラブルの話としては、私に対する強要・脅迫行為であり刑事事件です。迷惑をかけているんだから、商品を無料でよこせという趣旨であり、この件について自分が誰かに相談できれば違ったのですが、当時の私は誰にも相談できず、反論もできなかったのです。

また、当時私の置かれた立場はあまり会社に貢献しておらず役に立てなかったことも大きかったように思います。22歳くらいの若造と言われてしまえばそれまでですが、18歳から働いている方にすれば役に立たない奴と思われたことでしょうか。

その後、私がかつて勤務していた店舗は程なくして閉店し、現在はコンビニが営業しています。今もその近くを通るたびにこのことを思い出します。

そういった経験から、自分の中で培ったのは、トラブルのときこそ誰に相談するかだということ。

事業主になってからは都合の悪い事から逃げずにガチンコでぶつかってこそ信頼は得られることも同時に知りました。

世間の常識は自分の中の非常識。

つまり自分にとって非常識と思う事を続ける事が実は「信頼」に結びついているのかもしれません。

むしろ、自分の「常識」は他人にとって「非常識」

専門知識と言う「常識」は持ちつつ、対人関係は常に「非常識」を心がけています。

その隙間から得られる事が、大胆な発想につながる様に思います。

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