日本語の表現とその資質

日本語変換という仕組みができて、早数十年がたち、その歴史はまだ30年もたたない。
勿論、それ以前は活版印刷など活字印刷技術は古くから存在する。
日本語表現が気になると言うのは、ある会社のフェイスブックを眺めていた時の話。
私は、誤字脱字の指摘は私がまだ学生だった頃、某教官から小言のように言われた。
(と言っても今でも言われますが・・・。)
今でも、その感覚が抜けないせいか、表現として気になる場合は辞書を引いたり、漢字の意味を調べたりして使う。
良く間違えやすい言葉・漢字として
*片付ける(かたづけ)→かたずけ
*本題 → 本台
といった様に、単に誤変換という類なら、はっきり言います。
「笑って許せます」
なぜなら、良くある話で済ませられるからです。
しかし、片付けという言葉に関してみた場合、最初は「たまたま」かと思い、全文を見るとあちこちで「かたずけ」であった事。
揚げ足をとるのは私の本分から行けば当然です。
ただ、それが公式な記事(このブログの様に)であれば、そういった些細なミスも許されるはずがありません。
今でも時々読み返しながら、誤字を見つけては訂正する様心がけています。
ご存じの通り、こういった問題を指摘したりしてくれる奇特な人はそう多くない事を認識すべきと思います。
いろいろ書いてましたが、記事を要約するとこんな感じでしょうか。
*「元気なあいさつ」をする
*「つもり」ではいけない
*「受け身」になるな
この3点に関して言えば、私は次の様に置き換えました。
1:礼節を持って接する
2:首尾一貫した態度で臨む
3:改善と挑戦の精神
冗長に書いても「わかるはず」がありません。
日本語の表現そのものに、基準もなければ、ルールもありません。
ただ、目に余る誤字・脱字だけは他人事に思えず、しっかりとすべきだと思いました。
朝からの新聞を読む。それだけでも良いように思った今日この頃です。
私の様に日本語変換で悩まないよう、ATOKを使うのをお勧めします。

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