名物教官回顧録~故草野正一先生

学生時代の自分をふと思い出すのが、当時の写真。
先日、某高校へ足を運び当時の担任らと話す中で、社会科教諭の草野氏の話になった。
10年くらい前に、地名の小字(こあざ)全集を刊行した事はうっすら覚えており、最近どうしているのだろう?と言う事で、話を振ったところ、数年前に亡くなったよ。と言う話を聞いた。
気になって関連情報が無いか調べたら、ご丁寧にもウェブサイト上で紹介されていた。→関連記事
評判等に関しては、まさにこの通りで、鬼の教官にふさわしい。とにかく、スパルタという名前であっても10人中10人がそうだ。といてやまない。私もその意見に賛成だ。
私は草野氏にとって晩年の生徒だったんですが、とにかく授業というよりは「作業」というのがふさわしく、地理学とはなんぞやと言うべきだろう。
20年近く前の高校は、何とものどかだったが、ひときわ異彩を放っていた。
私が在学した頃の、教師陣はなにかと「超」がつくほどの個性派そろいで、それ故、今の人間形成につながっているかもしれません。
時代背景は様々ですが、思い出す言葉と言えば「基礎」とはなんぞや。「地理」と言うよりは、「修行」だったと思うくらいである。
とにかく、毒舌という意味では、小柄で眼鏡をかけて、渋い顔をしていた印象が今でも忘れられない。
好きか嫌いか、といえば間違いなく「嫌い」な教員だった。(今でも思い出すだけで嫌な思い出しかありません)
関連記事で掲載されている様に、とにかく緻密だったと思う。
社会科で9クラス(つまり2年次)360人をすべて担当していたと言うから、そのバイタリティはすさまじい。
※授業は各クラス週2時間であるから、18時間担当していた事になる。
少なくとも、こういった名物教官が年々少なくなっている事に何かと危機感を感じているのは私だけでないだろう。
学校の先生に求められているのは、「人気取り」でも「おもしろさ」でもない。
こういった基礎的学問の難しさを体現する人間が一人でもいてよかっただろう。
2006年の夏に逝去したと言うから、享年65歳。と思う。あまりにも早い死だと思う。
あまりにも生き急いだのだろうか。人に手厳しい事を言う以上、自分自身にも過酷なほどのノルマを課していたのは、
退職前に校了した、小字大全で一つの目標を達成した事でしょうか。
誰の言葉か忘れましたが「疲れるまで働くな、無理をするより、無駄をすることが大事だ」と
高校教諭を退職後は、きっと全国を回って活躍したかった事でしょうか。
現役時代の激務が祟った事は想像がつく話で、公務員(特に教師や警察官)が退職後程なくして逝去する話は、よく聞きます。
(私が知る限りでも70前に逝去した先生は、かなりいます)
大学時代の専門科目で教鞭を執った堀井先生(元長崎工業高校校長)は、前期科目の教鞭を執ったあと逝去。
(後年、教鞭を執っていた晩年は、抗がん剤を投与していたと思われる。ニット帽をかぶっていた姿は、当時はどうしてだろう。と思ってましたが、既に余命わずかだったのである。)
さらに数年後には、教育実習の時の学校長だった坂井先生も亡くなった。
一般職の先生方も、把握している限りでは5人以上は既に他界しており、いずれも50代から60代である。
先生という職業は、学校を離れても生涯にわたって先生と呼ばれ続け、そのプレッシャーは大きな事と思います。
先人の様な生き方は自分には到底無理だが、少しでもそれに近づけるよう、一日一日をしっかり行きようと思う。

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