全方位型ビジネス~ネタは常にどん底の中にある

仕事に、ノウハウがあるとすれば、人生の生き方にはノウハウはない。

何が正解かわからないがまずはやってみる。

ぼく自身、この仕事を十数年続けている時に思うのが、

「思い立ったらすぐ動け」

を基本に考えている。

これは、過去の失敗に基づく事である。

 

若い頃は、つい家族や親戚などの意見を受け入れてしまい、自分の意図せずになる。

相手は自分の発言の結果で責任を取る事は無いが、その通りやった当人はたまったモノじゃない。

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そういう経験があり、自分の中で身についた事は

「親を頼る事はしない」むしろ、頼る相手はいない。

と言うことを学んだ。

 

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当時から、今の仕事について父親からはあまり良い印象は無く、兄は高卒で国家公務員(ちなみに海上自衛官である)で、おまえは大学までいって個人で仕事を・・・・以下略。

である。

個人で仕事という下りは、父親も同様であり、私にしてみれば確執さえなければ今頃家業を引継、働いていただろう。

しかし、一人稼ぐのも精一杯な状況、さらにあちこちに借金が多かった訳で、その事実は大学を卒業した頃に人づてに知った。

最初の頃は、色々と経済支援をしていたが結果的に自分の仕事が危機的状況になり、父親に対し経済的支援を打ち切った。その結果として大きな確執を生んだ。

二度と連絡してくるな。と啖呵を切ったのは父親。私は、正直どうでも良かったのだ。

そのときの話は、「俺がいなければおまえは何も出来ない。」

の一言だった。

この言葉の背景は、当初家電量販店で働く事になったとき、身元保証人が必要だった。そのときは、郵便局で働いていたある人物に実印をついて保証人となってもらったが、ある事をきっかけにトラブルになり、保証人を降りると当時の店長へ直談判した。

その後、店長から身元保証を親にするならそのまま働いて良いが、出来なければ辞めてもらう。と言う現実を突きつけられた。

経済的ぜい弱だった私は、やむなく父親に身元保証を頼むことになった。それから、程なくして元々保証人になっていたその人物から、店舗宛てにクレームのFAXを送りつけられ、私はその責任を取る形でその日に辞職した。忘れもしない2002年夏の話である。

本当は、お金を貯めてある程度のめどを立ててからと考えていたものの、それも空しく職を追われる事になった。クレームを出した彼とはそれっきり絶縁し、金輪際会う事は無い。

このとき、人間なんて信用出来ないと思った。

人に頼るくらいなら頼られる様になってが・・・と思うが、私は肝心な所でいつも裏切られる。10年近く付き合いがあると口で言いながらも私の言い分は信用されない。

 

当時は、家電量販店勤務が主で今の仕事がサブだったが、何の見通しもないまま、放り出された。

何から始めて良いかもわからない中でがむしゃらに仕事を見つけるが、やはりない。

どこかで働こうと考えたが、身元保証の事を思うとそういう気分にもなれず悶々とした日々が続いた。

2000年から足繁に通った雲仙・小浜のお客さんを頼りに仕事を探す日々。

当時は、まだクルマもない頃だったのでバスで通う日々。

片道2000円の運賃をもって雲仙まで通い、営業する日々。

遅くなったときは、宿に泊めてもらい色々手伝いをする。

それから、口コミでお客さんを紹介してもらい、月並みなものの食べていける様になった。

 

もちろん、そうしている内に転機が来るか?と思ったが、やはり元々がじり貧だった頃からを知っているせいか、仕事は殆ど足下を見られる内容ばかり。

1万円程度のお金を集金するために、バスで通う。

支払は現金ではなく、小切手。

小切手も振り出し元でなければすぐに換金できない。

お金をもらうときも相手の顔色見ながら請求書を持参する。

 

請求書に期限を区切っても期日通り支払う所はなく、2~3ヶ月の滞納はざら。

必死だった事を思い出す。

それから、銀行と口座振替の契約を締結してから引落の依頼をするが依然として集金に固執する所が多かった。

 

量販店勤務を辞めてからとにかく始めた事は新しい営業の仕組みの構築が急務となった。

その経験から始めた10年以上続けている仕組みを紹介したい。

 

>販売代理店の締結

ちょうど営業的に追い風だったのは、元々NTTの販売代理店とのつきあいがあり取次店の契約を締結した。

当時から代理店は変遷しているが今も収入の一つになっている。

販売手数料は時代的に違いはあるのものの、年々増加傾向である。

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>口座振替の契約

先ほど申し上げた通り、回収に関する事で相当苦労した経験から、口座振替の契約を締結する。

このときも、金融機関とかなり交渉した。当初メインバンクだった某銀行は却下されたが、隣の銀行で同じように相談したところ了承がとれた。そのおかげもあり、公金の支払をはじめほぼすべての決済はこの銀行の口座からである。

口座振替に関する知識はこのときかなり勉強した。収納契約の書面を片っ端から取り寄せて収納の仕組みについて銀行の電算部門の担当者と面談を重ね、ようやく口座振替の手続にこぎ着けた。引き落とし日は月末提出、翌月10日と20日の契約を締結したものの、結果的に10日しか使ってない。今更、20日引落を選ぶ理由がない。

このとき、無理して契約にこぎ着けた事が今の経営の基礎になっている。口座振替を締結するにしても、一定の顧客を抱え、口座振替に関する知識を有さなければいけない。

口座振替の契約のハードルは低いが事務処理は正確かつ迅速な対応が必要となる。

もっとも、「毎月費用が発生し、継続性があるサービス」という条件が付帯される。

口座振替に適するサービスをキチンと提供できるか?この点も、大きな要因と言えよう。

 

 

>古物商の取得

家電量販店時代に、アウトレットパソコンの担当をする時、中古品の際は古物商の許可が必要という話を聞いた。

古物商の取得はかなり時間がかかり、手続を始めてから約半年かかった。

しかし、この古物商の許可を取得した結果、後年パソコンの業者オークションに参加する資格を有したり、マイクロソフトの再生中古パソコンの販売業者になる事が出来た(2015年現在、マイクロソフトと契約しているのは長崎市内では私の所だけ)

Registered Refurbisher プログラム - ディレクトリ

>物流契約

物流契約の基本は、当初は日通を利用していたものの、配送トラブルが相次ぎ、佐川急便に切り替え。

配送システムを多方面にわたって締結。古物商と絡めた形での取引も可能になった。

さらに、郵便局と包括的な配送契約(いわゆる後納郵便)を締結し、迅速なサービス展開をすすめている。

sagawa

 

>コンテンツサービス

このブログをはじめ、ウェブコンテンツを幅広く構築し始めたのも営業拠点を深堀町へ移転してから。

コンテンツのラインナップも増やして、ASPサービスやアフィリエイトを生かしたコンテンツを構築し、サービス展開につなげている。もちろん目立った成果は出せていないが、伸びしろが大きい仕事だと思っている。

 

>法的な対処方法

これだけ長いと色々あり

被害届を出し、被疑者特定をしたり

支払を踏み倒した顧客の未払金を裁判して回収したり

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今、ここまで始めた事のそもそものきっかけは自分自身における、挫折と失敗さらにはトラブルが背景にある。

2015年になって、何かを始めようとする際、基礎となるサービスや商品・環境はすべてそろっている。

後は自分自身のやる気とテーマを何にするか?と言うだけである。

 

当時出来なかった事も今なら出来る事が多い。

お金が無くて買えなかった事。クルマが無く、訪問するにもバスとタクシーときどき、レンタカーという生活だったのがマイカーがあるので、24時間いつでもどこでも行ける事。

 

わかった事は

「時間があれば何でも出来る。お金があれば何でも出来る。」訳じゃなかった。

 

 

最後に

同じ仕事をひたすら愚直に、そして諦めず、そして退路を断ち、自分の生きる道はない。と信じる事が大事。

仕事は選ばない。仕事があれば何でもこなす。

5000円の売上でも、50000円の経費を投資する事が私のやり方です。

残りの45000円は次、同じ仕事が来たとき50000円の経費を投じず、極端な話500円で済むわけですから、十分利益が出ます。

最盛期には毎月十数万円近くの借入金の支払いがありましたが、現在は十分の一程度です。

人間諦めない事、必死にもがいて今何が出来るかしっかり考える事。

無駄な事こそ、一つ一つ丁寧にこなす事が5年後10年後、役立つ時がくるかもしれません。

 

会社のデスクに貼っている言葉の一節に

「親切正直成功の元」

とありますが、まさに正直者がバカを見る社会だからこそ、バカがつくくらい親切で良いじゃないか?

そんな風に私は考えます。

 

損したっていい、悔し涙流したっていい、なぜならバカはバカなりにやるしか無いのです。

頼る相手がいるとどうしても甘えが出てしまいます。誰にも頼れないと思えば、自分で考え知恵を絞り、微力ながら出来る事は無いか考えるものです。そのためには、日頃から新しい事に取り組む姿勢が何よりも大事だと思います。

他人に優しく接し、自らを厳しく律する事が何よりも大切な事かも知れません。

 

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