ケータイ依存症と考察

ケータイ依存症を無くす為の一工夫は、ケータイに縛られない生活でしょうか。
特に情報規制の厳しい職場であれば、携帯電話の利用はきわめて制限されます。当然、持ち込みは厳しく禁止され使い方もそれなりに指導されます。
私の会社みたいに個人企業体であれば、携帯電話の利用制限をするかどうかは私の判断一つにゆだねられ、いずれも問題無しと判断されればそれで良いと言う考えです。
ケータイ依存症を考えた際に、携帯電話が手元にないと不安になる事が一つです。
誰かとつながっていなければ不安になるのは極度な心配性と考えて他なりません。
もっとも、ケータイ依存症の問題をひとくくりにできない背景には、ケータイだけで済まない問題があると考えるべきです。
私が子どもの頃は「共通のおもちゃ」を持っていない事で、仲間はずれになる事は良くありました。
それに準じた事が、今はケータイに広がっている感じがします。
子どもの頃は、学校が一つの社会であるからその王道から外れる事は良くも悪くも批判されるものでした。
その時代をうまくのりこえて行けば、少しはマシになるか?と思うんですが、未だにそういったコミュニケーションの取り方は、今も昔も変わってない様に思います。
コミュニケーションツールとしてのケータイがなければ何もできない事が多くなってきました。
その為、片時も手放さずケータイを持ち続けるその行為自体は、一種の依存症と言っても言い過ぎではありません。
私自身は、とにかくケータイが嫌いで、休みの時にところ構わず掛かってくるのに辟易した経験があり、そのせいか、携帯がなるのは不愉快極まりありません。
昨今、ケータイ番号をむやみやたら教える事は減りました。
固定電話へかけるのは確かに、気を遣います。でも、その気遣いが日々のやりとりで一呼吸おける行為そのものが、相手の思いやりになるのではないかと考えます。
ケータイでやりとりするととにかく、ケータイでしかやりとりをしなくなります。
固定電話があっても、使う事はかなり減り、ちょっとした事でもケータイを使いたくになるものです。
そういったときに近頃思うのは、ケータイの電源を定時になったら切る。できれば自動的に切れるのが一番理想です。
逆に帰社するときに電源を切って事務所へ戻す。(充電をかねて)がよさそうです。
個人の場合においても、同じ事かもしれません。
仕事の時は電源を切り、仕事が終わったら電源を入れると言うのも同じパターンです。
依存症はいろいろな仕事に影響を及ぼすので、たまに「忘れて行く」くらいのずぼらさがあって良いと考えます。
ラジオで誰か忘れましたが、「私のケータイは普段は電源が切れている。通話するときだけ電源を入れてやりとりする」という話を聞いたときに、まさに「コレだな俺も」と思ったのは言うまでもありません。
現実はやりたくてもできないのが実情で、これをやったら事務員から袋だたきに遭いそうなので入れておこうと思います。
先般の集約の一件で、ケータイを4台から2台+1台の構成にしました。
会社ケータイが2台
プライベートが1台という構成です
後は公開用電話番号を設けるかどうか真剣に悩んでいます。
ほかに良い方法がないか、今から考えていこうと思う今日この頃です。
・・・本当のケータイ依存症は私のことかもしれません

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