問題解決能力を研究する

案外、あうんの呼吸といった話は誰にでも出来る事では無く
常に空気を読みながらと言う事が大事である。
朝からある会社に「システムの件で尋ねた」がやはり「???」となり、原因をそれなりに説明した
事もあり、結果としてすぐに修復出来たが、これが放置される様な事になれば目も当てられなかっただろう。
その後、別件でオンラインシステムの事で問い合わせるとやはりこちらも問題勃発!
予想通りの結果に「あきれる」私。
そんな馬鹿なと言わんばかりの現実にただただ泣けてくる。
会社から見れば「電話応対した担当者がしっかり対応すれば良いのだが」と言いたいだろう。
現実はそう甘くない。
説明しても「伝わらない相手」、伝える事に疲れる「私」
いずれにしても「間違った結果」としてとらえる「担当者」
その動きにはどれが正解でも、間違いでも無い。
私は電話応対者に「100%」を求める事はしないことにした。
なぜなら「無理な事」を求めるより
「アウトライン」を説明する方がずっと良い
と思ったから。
担当者の許容能力を超えたら、担当を交代を求める事にもしており
顧客側(つまり私)から応対者の能力を鑑み「出来る」「出来ない」を判断される事ほどおもしろく無いだろう。
人間「出来る」と認められたいのが本心だろうが
残念ながら近頃は能力の悪さを痛切に感じる。
仕事は「スピード」勝負かもしれない
その一方で「無駄」な事もたくさんやってきた。
実際自分がここまで神経質になるのも「これまでの苦い経験」が反映されており
嫌でも詳しくなるのは当然の流れだろう
時折メールを出しても返事が無い事は寂しいと思うが
逆に「所詮自分なんかそんなもんだろうって。物送っても返事が無いのも当然」と言うのは仕方ない。
私は人に相談したり、頼み事をするのが苦手だし、嫌いだ。
出来れば頼みたく無いし、自分でやりたい
そっちの方がずっと楽だし
精神的にも気をもまずに済む。
問題解決能力という言葉の裏には「どれだけ自分で解決できるか?」と言うこと。
人に期待する事は一番良くない
そうすれば「腹を立てることも」無くなる。
人間期待するから「腹を立てる」のであって、期待しなければ「腹も立たない」のである。
くだらない事に「目くじらを立てるな」という事は多々ある事だ。
でも
相手をどう使うかがこれからの能力になるんだろう。
これからは「短時間」でどれだけの仕事をこなせるかに、かかっているのだろうか。
まだまだ私も勉強が足りないようです

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