サービスの責任分界点について考える

普段、あまりにも曖昧な「責任分界点」の問題
私自身は、日頃から「他社の事まで包括的に対応」する事が、お客様にとって利があると思い、日々対応しておりました
しかしながら、近年はこれが「間違い」である事に気づいたのです。
責任分界点における諸問題を色々考えてみると、本来の責任問題は私ではなく、問題を起こした業者に対し、きちんと対応する事が本来の「責任」であると感じ始めたからです。
これは、あまり良い事ではありませんし、本来の諸問題を取り上げる際に、きちんと見極めなければいけない事でもあります。
サービスの責任分界点という言葉を用いた本来の理由そのものも「必要以上に抱え込みすぎた」事がやはり原因ではないだろうかという所です。
実際、問題が起きる場合に「一カ所」だけで済む事は無く、ほとんどの場合
複数に事案がまたがる事が多々あります。
そうなった際に、どうしても面倒な自分にとって、つい「代理回答」する事は、お客様に取っては「利」する事であっても、私たちにとって見れば「害」にしかなっていない事に気づかされます。
これは、最たる所、必要以上に情報を与えない事が大事だと言うことに気づかされるときです。
先般、ある会社とのやりとりの際「自分たちが分かっても、サービスの差別化を与えてはいけないので分かる事でも答えない」というスタンスを取ったと言いますが、やはり企業であり、利潤を考えた場合に、やむなしなのか?と思わせてしまう空しさがあります。
お客様の満足度を考える自分にとって、「分かる事を答えない事は、愚の骨頂」だと言いたいのですが、時として「こちらでは無いので探すように」といった対応も必要になるかもしれません。
そう考えた場合において、自分の「責任分界点」は一体どこにあるのか
考えてみたところ、「自分の業務から外れる事は、分かっていても口出厳禁」である事は、長年色々な方々から指摘された事でありましたが、最近、身をもって知らされる事になるとは夢にも思いませんでした。
自分の本分をわきまえ、自分の与えられた仕事以外は答えない、提案するとしても「自分」の仕事以外について答えない。尋ねられても、分からない。と言う事は相手から見て「何も知らない奴」と思われてしまう事になる方がずっとマシであると思うのです。
逆に自分の仕事の事であれば、しっかり提案をし、営業をしなければ、結局の所プラスに転じる事は無いのも事実かもしれません。
そのため「情報は価値のある商品」だと考えさせられたのでした。
先般も、ある会社のメールの内容を指摘をいたしましたが、これも、本来するべき事では無かったのです。
いつものお節介な事でやってしまい、今更ながらですが「放置するべき」だったと反省しかりです。
つまり、誤字があろうが、表現等が一般から外れていようが、私が困るわけじゃないからです。
(日本人は指摘される事が苦手なので、指摘されてあわてる事も多々ある)
指摘された方は、ラッキーだったのでしょうが、私にしてみれば「損」したと言う気持ちになったのは、近頃の事を思い返して無駄だったと思ったからです。
責任分界点の事は、まさに「自分の本分以外を侵す事は相手からも自分の本分以外を侵す事となる」事の現れかもしれません。
この事が無ければ、「責任分界点」について考える事もありませんでしたし、そうしなければ今後自分自身の首を絞めかねないと、必要以上の無駄をそこに出してしまうと
そう考えてしまった今日この頃です

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